「形成外科」の問題点

先日、某国立大学の整形外科の教授と話をしていたときに話題になったことなのですが、それは「形成外科」は大学の中での評価が危機的であるということでした。

ここ数年、国立大学病院でも経営が厳しく問われていて、各科の売り上げに応じてその科の評価が決まる傾向にあります(一般の公立病院でもこういったことは15年以上前からいわれていて、私が形成外科の限界を感じたのもその頃のこういった事情が直接関係していました)。

今までの大学における形成外科はその科の性質上、他科との共同手術が多く(再建外科と呼ばれる手術が非常に多いため)、形成外科独自の売上という点では働いている割に少なくなります。

業績というものは客観的に評価しようと思うとどうしても数字、つまり売上で評価するシステムになってしまいます。そういった病院を取り巻く殺伐とした事情が冒頭のような話の根底にあります。

評価が低い科は予算が減らされ、人員のポストも売り上げに応じて減らされる傾向にある一方、形成外科医はなかなか「形成外科」という標榜科で開業できないため(この名前で開業しても患者さんには何をしてくれる科かわかりませんから・・)公立病院や大学病院のポスト頼みになってしまいます。

今後この傾向は悪くなることはあってもよくなることはありません。日本の経済状況が右肩下がりのいま、「形成外科」にとっては受難の時代が続くと思われます。

しかしこのような状況に陥る元凶は、こうなるずいぶん前からつくられていてそれをつくったのはだれあろう「形成外科」本人ではないのか、というのが私の考えです。

日本の「形成外科」はあまりに「再建外科」に偏りすぎていて、「美容外科」を切り捨ててきたという歴史があります。そうなったのには当時の「形成外科」を取り巻く環境が関係していてやむを得なかった部分もあるでしょう。

しかし学問的にいえば「形成外科」と「美容外科」は切っても切れない関係にあるにもかかわらず、政治的な思惑でこの真理をまげて日本独自の「再建形成外科」を発展させてきた、そういった「つけ」が今になって表面化してきたのだと私は考えています。

この問題には根深いものがありひとことでかたずけるのは難しいため今後機会があるたびに触れていきたいと考えています。