ものづくり
知らない間に8月になっていたという感じです。
7月の最後の週がとても忙しく、気がついたら暦が変わっていました。
先日、私用での集まりで年配のかた(といっても私と10歳も変わらないと思います)とお話しする機会がありました。
幼稚園を経営されている(園長も兼ねているとおっしゃっていました)かたで、最近の子供の教育について熱心に話されていました。
最近の子供には、「ものづくり」の機会が少なくそのよろこびを味わう経験も少ないということについて憂慮されていました。
戦後の日本は(私ぐらいがその最後の世代だと思います)まさしくこの「ものづくり」が国の発展の原動力でした。
それを今の日本は失いつつあるということは、今後のこの国の発展を望むことが非常に難しくなっている、ということでした。
これについては、私も日頃から同じような考えを持っています。
私が幼少のころはまだ今ほどものが豊富ではなかった時代でしたので、遊びというと自分で工夫して物を作ることが当たり前のようなところがあったのです。
出来上がったあとも何度も壊しては作りを繰り返し、そんなところから手を動かして物を作り出す喜びを経験することができたように思います。
今の日本は他の新興国に「ものづくり」を譲ってしまったようなところがありますが、先進国を含めて日本が他の国に負けない技術の原点だけは譲ってほしくないものです。
それは、単にモノを作るだけでなく、なんども試行錯誤を繰り返し、いかに安全で耐久力のあるものに仕上げていくか、信頼性のある質の高いものを作り出していくか、といったところが日本のお家芸だと考えます。
テレビや白物家電など(いわゆるコモディティと呼ばれるもの)は、外国勢の商品に押されっぱなしですが、たとえば一眼レフデジタルカメラやコピー機といった付加価値の高いものほど、日本製は他の国に対して圧倒的な優位を保つことができているということからも、日本の将来の「ものづくり」の姿を垣間見ることができます。