時に真実とは・・・

最近新聞の報道について、誤報問題などが取りざたされる機会が増えてきました。

我々は新聞とは「真実」を伝えてくれるもの、という理解を長い間持ってきました。

真実は一つしかない、という立場に立てば、新聞が何紙もあること自体矛盾するわけで、結局新聞で書かれている「真実」は単にその新聞社の事実の解釈にしか過ぎないといえます。

新聞は、それでも情報の発信元がはっきりしている分だけその内容についての責任の所在がはっきりしていて、後々誤報に対する謝罪や訂正ができる点で、メディアとしては上等な部類に入るといえます。

ところがネット情報(特に匿名で投稿される記事やコメント)になるとその内容に対する責任の所在はほとんどはっきりしないことが多く、たとえその内容が間違っていたとしてもそれを責任もって訂正することすら行われません。

たちが悪いことに、そういった無責任に書かれている内容のほうがより真実に見えてくることがあるのです。

真実よりも多少なりとも脚色されたストーリーのほうがドラマとしては興味を引きやすい、ということは慣れない頃だれでも経験したことがあります。

我々情報の受け取り手が、それが真実かどうかを見極めるうえでこのことはいつも頭にとどめておくべきです。

つまり、あまりにもありがちな、しかも受け取り手に素直に入ってくる情報ほど脚色の可能性を疑うべきです。

身近な例を挙げれば、美容外科のある手術の情報を得ようとするときに、こちらの期待通りのうたい文句(痛みもないしダウンタイムが無いにも関わらず、はっきりした若返り効果が得られます、など)の施術についての情報があったとすれば相当脚色されている、と考えたほうがいいでしょう。

さらにいえば、クリニックのHPに掲載されている術前術後写真を参考にする際に、目を引きやすい写真がならんでいればそこに明らかな脚色がなされていることを簡単に見つけることができます。

一見どこが変わったかわかりにくい術前術後写真ほど、よく見るとその施術によってどこがどのように変化したかがわかる写真であることにも気づけるようになります。

真実は時として一目ではわからなくても、それを見抜く力を身につければ目の前に容易に姿を現してくれるものです。