怖いもの知らず 知らぬが仏 3

溶ける糸について、術後の経過でどのようなことが起きているかを前回書きました。

ここ3回の記事に「怖いもの知らず 知らぬが仏」というふざけたタイトルを付けた理由を書きます。

巷ではやりの糸リフトですが、切らなくてもたるみの解消ができるという点で人気の手術になっています。

ベテランの患者さんでも好き好んで切ってほしいという人はいないと思います、できれば切らないで希望をかなえたいと思うのが普通です。

つまり患者さんは「切る手術」はリスクが高い、怖いと考えがちです。

ただし、一般的に「切らない手術」は一種の盲目的手術で医学的にはかえってリスクがあると考えられます。

なぜなら皮膚の下になにがあるかはっきりわからないで糸を挿入する、というのはそこに何があるかをぼんやりと想像しながら行う手術だからです。

その想像が正しければいいのですが、もし少しの違いがあったら大変なことになります。

特に顔面は血管や神経の塊のような場所ですので、1㎜でも間違った場所に糸を入れると重大な結果を招きます。

我々は、実際にフェイスリフトの手術で皮膚の下の解剖を目の当たりにしながら目で直接確認しながら手術をしていますのでこのような間違いを犯すリスクはかえって少ないのです。

実際に過去に挿入された糸をフェイスリフトの手術に確認すると、顔面神経すれすれのところに挿入されていたりそれに絡まっている状態の糸を確認できることは日常茶飯事です。

こういった場面で思うのは、つくづく現実を知らないってことは怖いことだし、逆に知らないからこういったことが平気でできちゃうんだ、とある意味感心しています。

「見えない」「見ない」ことにする、ということは人間にとって安心できる源なんですね~。

私のように目で見えていても最後までほんとに大丈夫なのかと心配しながら手術をするような小心者には、こういった盲目的な大胆な手術は怖くてとてもとてもできません!

怖いもの知らず、知らぬが仏

Ignorance is bliss