アップルとマック
パソコン黎明期のころ、その頃の多くの医者がそうであったように、「マッキントッシュ=マック」を買いました。
学会のスライドを作るのにパソコンは必需品だったのです。
マウスが使いやすかったのとアイコンがわかりやすかった、という印象が残っています。
何台か買い替え、使いこんでくると何か物足りなさと頻繁にフリーズするマックに見切りをつけて、「ウィンドウズ」に移りました。
おそらく大半の医者もそうであったはずであるということが、現在学会においてマックで発表する人が圧倒的に少ないことからもわかります。
私にとってOSとソフトが違うものということがはっきりしていたウインドウズのほうがわかりやすかった気がします。
Ipodも買いましたが、最初あれだけたくさんの曲が小さな箱におさまるというところにはちょっとびっくりしましたが、製品の作りの甘さや次々に動かなくなってしまうもろさには、「またか・・・」という思いがありました。
私にとってアップルの製品には中身がどうなっているのかがわからない(それはソフトにもハードにもいえる)というところに製品に熱狂的になれない原因があります。
次々に新しい製品が出てくるところもアップルの製品に愛着がわかない理由のひとつでしょう。
それでもスティーブジョブスは尊敬されるべき人間で、それはいままでの考え方をかえる・・「再定義」をするというところの発想力が普通の人間ではなかったからだと思います。
そこには古い考えを捨て去る、そこにこだわる考え、余分なものを捨て去る、という潔さが必要であったと思います。
こうして考えると、「死」は偉大な「発明」である、という彼の言葉からもわかるように、彼自身の死を含めた人生が彼の考え方そのものであったといえます。