万博の思い出
上海万博がまもなく始まります。
たぶん訪れることはないと思いますが、万博と聞くと我々の年代はどうしても今から40年前1970年の大阪万博を思い出します。
一度だけ大阪万博に家族・親せき一同でいった覚えがあります。私が10歳(小学校4年生)の頃でした。
いまだにおぼえているのは、入場チケットは何かの福引で当たって手に入れたことと、当日はとにかく混んでいて迷子にならないように気をつけているのが精いっぱいだったことです。
どこのパビリオン(会場)に入ったかは全く記憶がありません。アメリカ館が人気だったはずですが(月の石があったと記憶しています)、こういったパビリオンは最初からあきらめていました。
それ以外にとりわけ強烈に記憶に残っていることがあります。
大阪までの往復は新幹線でいったのですが、帰りの新幹線が超満員で座れる席がひとつもなく親戚全員が途方に暮れているときに、だれかが「食堂車が空いているかもしれない」ということで食堂車に移動しました。
新幹線の食堂車は数年前に全編成から姿を消していますが、その当時はかならずありました。
その時も営業時間は終わっていましたが、ブッフェコーナーに座ることができました。電気もついていなくて薄暗くてわびしさもありましたがとにかく生れてはじめての「食堂車」がすごくうれしかったのです。
当時の日本は高度成長時代の真っただ中、素朴な時代から新しい時代へと変わっていくまさにターニングポイントだったのです。