日本国憲法を考える
今回の参議院選挙ほど、いろいろ考えて投票したことはありませんでした。
それはどうしてかというと、自民党が政権をとれば憲法改正の問題がゆくゆくはクローズアップされてくる可能性があるからです。
日頃深く考えることのない「憲法」問題ですが、これからの日本がどうなるかを大きく左右することになると思います。
結論を先に申し上げると、戦勝国が敗戦国に押し付けた現実離れした憲法ですが、将来の日本にはこの一見ばかばかしいような憲法が必要となってくると考えています。
理由は、日本(人)は、もともと政治的な面では不器用な民族であり、物事をいい加減にみたりうまく妥協していいところで決着を着けることがとても苦手で、そういった民族にはこの現実離れしたファンタジーな憲法で「丁度いい」と思うからです。
血で血を洗うような政治的な駆け引きや権力闘争を何千年と繰り返してきた「お隣の大国」に、政治的な駆け引きの面で、日本人が勝てるわけがありません。
外交一つとっても、譲るところは譲りながら相手国に気取られずに自国の利益は絶対に守る、というような政治的な駆け引きを、過去の政治家にもできなかったことが未来の日本の政治家に求めることができるとは到底思えません(この平和ボケした、欺瞞の平和国に住んでいる限り無理というものです)。
政治的な駆け引きには世界的な世論を上手に味方につけ、理論的には「間違ったこと」や「なかったこと」も歴史的には正しいと塗り替えてしまえるぐらいの剛腕をもって謀略・政争に長けていく必要があり、強直した正論を振りかざすナショナリズムで突き進めば常に自国の破滅的な結果を生むことになることは、過去の歴史から見れば明らかです。
この愚直な国民は、この平和?憲法をこれまた愚直なまでに死守することで、たとえ自国が侵略されたと感じても世界の9割以上の人が「防衛戦争」をよしと認めるまではどんなことがあっても戦争を行ってはいけない、それが二度と同じ過ちを繰り返さない将来の日本の姿であろうと思うのです。
この一見不備な憲法さえあれば、国の存亡が問われるときでも政治家はこれを国民への言い訳にしながら最終的には国益をしっかり守ることができるのであり、その時に初めてこの憲法が自国の救世主になりうるに違いありません。