格安の功罪
最近、イタリアの豪華客船の事故がありました。
写真などで見ると、船は横たわっていましたが、沈んではいなかったので、どのような船だったかはなんとなくわかります。
豪華客船らしい大きな船だということはわかりますが、なんとなくトップヘビー(上回りが大きい=不安定)な印象はあります。
ニュースなどでわかることは、この船でのクルーズツアーは格安だったことと、そのためのコストカットがいろいろ考えられていたとのことでした。
格安=安全がなおざりにされていた、という結論を出すことは簡単ですが、それが=悪であると言い切れるでしょうか(亡くなられた方には本当にお気の毒で、心から哀悼の意を表します)。
今回の事故はたまたまで、本来はこういった事態が起きること自体非常にまれであり、今までは事故もなく多くのツアー客がこの豪華客船によるクルーズを楽しんできたのだという事実があります。
豪華客船でのクルーズなどは、今まで、相当なお金持ちで時間に余裕のある人だけが体験できるものだったのが、一般的な観光客にも広く楽しむことができるようにしたという面で、ツアーを企画した旅行会社の大きな功績だったのではないでしょうか。
きっと多くの人に夢を与えてきたという点で、十分正義であるといえるものでしょう。
逆にとても高価なツアーがあったとしても、絶対に安全と言い切れるものではありません。
ここには、「悪」も「正義」もありません。
要は、こういったサービスの世界には値段は最終的にその価値に見合ったものだけが残っていくという「市場の原理」があるだけです。
問題はその「最終的」な段階はいつ来るかは我々にはわからず、消費者はその途中の振り分けの段階にいつまでもいて翻弄され続けるということです。
美容外科による医療サービスも全く同じことがいえます。
美容外科の医療サービスにも、価値のあるサービスを提供するが高額なもの、価値のあるサービスを提供するが安価なもの、価値のない(あるいは粗悪な)サービスを提供するが高価なもの、価値のない(あるいは粗悪な)サービスを提供するが安価なもの、の4種類があり、これはいつの時代にも(そして未来永劫)共存していくもので、消費者からは価格以外はほとんど区別できないという悲劇があり、さらに厄介なのは、その「価値」の判断基準が人によって違うことで「悪」と「正義」の区別を完全につけることができないために、混沌とした状態に終止符が打たれることがないことなのです。