美容外科への道~その2~はるか遠く
医大6年生といえば、国家試験や卒業試験の準備で超忙しい学生生活の真っただ中です。そんな中で卒業後の進路を決めていかなければなりません。(当時は研修医制度はありません、卒業即入局でした)
わが母校岡大には「形成外科」がないため、他大学にいかなければなりません。いろいろ調べているうちに時間ばかりが過ぎていきます。同級生はどんどん岡大の医局に進路を決めている中で、自分だけがどうしていいか戸惑っていました。
そのうち東京近郊の大学ならいくつかに「形成外科」の教室があることがわかり、その中でよさそうと思うところに電話で連絡しアポイントをとって、面接の日程を調整後上京しました。すでに年が明け、1984年が始まっていました。
3つほど大学をまわったのですが、時期が既に遅く、どこの医局も空きがなく今年は無理だ、ということでした。そんな中で最後に訪れた「聖マリアンナ医科大学」で、形成外科教授の荻野先生に直接会うことができました。
聖マリも事情は一緒でしたが、私が岡大出身だということで、教授がこの先生を訪ねて行きなさい、と紹介状をかいてくれました。その先生が「川崎医大」の形成外科教授(当時助教授)の森口先生でした。
森口先生は岡山大学の出身で、形成外科を専攻するために京都大学の医局に入ったあと当時川崎医大で谷先生(当時教授、故人)のもとでばりばり仕事をされていました。
さっそく岡山に戻り、連絡をとって川崎医大の形成医局をおとずれました。なんのことはありません、川崎医大は岡山市のとなりの倉敷市にあり、車で30分もかかりません。「灯台もと暗し」でした。
川崎医大は私立の医大で、当時その付属病院はとてもきれいで国立の岡大なぞ比べ物にならないくらい近代的でした。これから会う先生が私の運命を決めるかもしれないとおもうと知らず知らずに武者ぶるいがしてきました。
先生はすごく忙しそうでかれこれ1時間ぐらい廊下で待つことになりましたが、ガラスの向こうにやっと先生の姿を見つけた時は、興奮がピークに達していました。以後次回へ