美容外科への道~その6~東京で整形外科医に
「形成外科」ではなく「整形外科」の研究生ではじまった名古屋での新生活。
何がへこんだかといって、形成外科に入局できないのもさることながら、自分一人食べていけるのがやっと、しかも整形外科と麻酔科のアルバイトでやっと食いつなぐといった有様だったことです。
「研究生」はつらかった。ずっと形成外科を目指しているのに、卒業段階ですでに進路が迷走し、今回研修が終了したところでも再び迷走。このとき不覚にも形成外科を一生の仕事にすることに初めて迷いが生じました。
形成外科が独立する気配もなく失意の日々をすごしていたころ、整形外科のアルバイト先で伊藤晴夫先生(当時名大整形外科の講師、現在東京厚生年金病院の副院長)に出会いました。伊藤先生は整形外科医としての腕はトップクラス、人格者でもあり、私の悲惨な状況を察して何かと便宜を図っていただけ、週に2-3回整形外科の手術を中心に教えて頂けました。
鳥居先生には週に1回ぐらいのペースで形成外科の手術をみせてもらっていましたが、意外にもあまり興味のわく手術はなく(当時形成外科の大きな手術は大学内ではできないという事情もあったのです)徐々に形成外科への情熱が失われていったのです。
そんなときに伊藤先生の東京厚生年金病院の赴任がきまり、先生から「東京に一緒にいきませんか」という話をもちかけられました。ちょうどそのころ私生活でもいろいろあって公私ともに一新するのにちょうどいい機会かな、と考えたのです。
整形外科に対してもこの半年間伊藤先生に教えてもらい興味もわいていたので、鳥居先生に相談してその話を受けることになったのです。
1987年の1月1日、はれて東京厚生年金病院の「整形外科医」となりました。