美容外科への道~その10 きびしかったがんセンター時代
愛知県がんセンター頭頸部外科時代(1990年4月~1992年3月)
大学での初期研修も順調に進むにつれ、形成外科医としての物足りなさも徐々に感じていました。
大学ではなかなか執刀医になる機会がなく万年助手が続いていたからです。
そんなときに、鳥居先生から「愛知県がんセンター」で頭頸部再建外科医としての赴任をオファーされました。
当時、微小血管縫合による組織移植で頭頸部再建がようやく始まった時代、仕事としてはやりがいのあるものでした。
しかしがんセンターのなかで唯ひとりの形成外科医になりますので、責任は重大。少々荷が重い、という気持ちも正直ありました。
赴任してみると、頭頸部外科は部長の松浦先生(故人)が仕切っていました。松浦先生はアメリカ仕込みのバリバリの頭頸部外科医。
この2年間で松浦先生から「外科医」としての基礎と厳しさを徹底的に教えられ、たたきこまれました。
1年365日間、まったく休みなし。正月1日の朝6時から仕事。来る日も来る日もひたすら仕事。毎晩寝る時も枕もとに「ポケベル」をおいてから寝る、という日々。
この2年間が終わってみると、外科医としての基礎が完全にできあがっていました。このときの体験が17年経った今でも私の美容外科医としての基盤になっています。
この2年間のうち私にとってもう一つの大きな出来事がありました。以下次号。